atelier*

「 ふと 」

- Oct 10, 2020

あした自分がもう生きていないとして、そう思った時にまず何をしたかというと、お掃除でした。あした自分がいなくなったとしても、生き続ける人たちがいて、時間も変わらず進んでいく。その流れにこの身体で参加できなくなると思うと寂しいけれど、残りの時間で何かできることはないかなと考えた時、自分が生きていた跡にちょっとでもいい風が吹いているといいなと思ったのでした。最後の日は、絶景を見たいわけでもなく、特別なごはんが食べたいわけでもなく、ただ静かにお掃除をして、冷蔵庫の残り物を食べて、好きな人にちゃんと好きと言っておこう。身体がなくなっても、一緒に暮らしていた部屋やiPhoneやベランダの植物や、服(染み込んだ匂い)や楽器は残るなんて、もののある世界は不思議です。

このことは、今日以外にも感じた日々がありました。3月、4月、5月あたり、まだ疫病の得体があまりわかっていなかった頃、死というものが生と同等に、ぴたっと隣に居たのです。今でも、いつでもその距離は変わっていないはずなのですが、世界が比較的静かだったおかげで、騒音に紛れていた死の気配がよりわかりやすくなっていたのかもしれません。

あの時期があったから、わかったことがたくさんあります。どんな事があっても、どんな日であろうと、今日が一番いい日。だって生きていたから。生きている、という価値が何より大切にされている日々は、いいですね。それから、その基準がこころの中で揺るがなくなったのも、あの日々のおみやげです。